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昔の男にとっての女

2014年3月25日
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誰でもが読む週刊誌のグラビアを、ポルノまがいのヌードがかざったり、人前にはだせないような写真が堂々とスポーツ誌の一面にのって、
教養ありげな男たちが電車のなかで恥ずかしげもなくそれに見入っている、という風景は、この国でなければ見られない。
異性と関わるという、人生に大きな豊かさをもたらす行為は、こうして日本の成人男性においては、ほとんどつねに、「漁色」の色彩を帯びてしまう。
そして彼らは、対等の人間としてでなく、軽蔑し、見下しながらその性を楽しむ相手として女を見るようになっていく。
明治の初め、恋愛は人生の秘鋪(やく) である、と北村透谷が宣言したとき、人びとはあっと驚いたが、こと女を愛し、尊敬することにかけては、
現代でも事情はそれほど変わっていない。友だちの誘いを振り切って、女房と約束があるから、と帰っていく男はばかにされる。
女にやさしい男、女に一目置く男はからかわれる。
色男は「金と力はなかりけり」がふさわしく、男らしい男、ぱりぱり仕事をする男、世のなかに認められる男は「英雄色をこのむ」ならば許せても、
断然、恋に落ちたり、妻につくしたりしてはならないのだ。
こうして中年すぎの男たちは、女を見るとき、相手を無意識のうちに二通りに分類してしまう。
ひとつは妻や主婦などと、相手を異性としてでなく、ある役割に当てはめてみるやり方。彼女たちは実用向きの女だから性愛の対象にはならないのだ。
「ひとの女房なんかと口をきいても面白くねえよ」という姿勢がここから導きだされる。
いやむしろ、夫自身、「女房なんか相手にしても面白くもねえよ」と思っている、というほうが正確かもしれない。
もうひとつのグループに分類されるのは、水商売の女たちや、「自由」な女たち、つまり離婚した女やウーマンリブの女たちである。
男たちはなれなれしく彼女たちに近づいてくる。「ものにしよう」という下心と、相手を軽く見る気持ちを隠しもって。
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ダメな男の例

2014年3月25日
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男性の同僚にさそわれて、初めて酒場へ飲みに行った私の若い知人は、自分たちの席に侍(はぺ) ったホステスの洋服の裾から、
彼がこともなげに手をさしこむのを見て仰天した。その彼は、ふだんは謹厳実直と思われている「学校の先生」だったから、驚きはなおのこと深かった。
日本の男は、こんなふうに、相手が水商売の女である場合に、はずかしげもなくその本性を表わす。
女について、性について彼がどう考えているかというホンネが、そういうときに丸見えになる。
外国の男とて、娼婦を買わないわけではない。しかしそれは、ひた隠しにされ、人目にふれないところで行われ、当事者の社会的生命にも関する背徳として扱われる。
ところが日本ときたら、東南アジアや台湾への買春ツアーが会社単位で企画され、団体でくりこむお国柄なのだ。
この女は性の対象として考えてもいいな、と思ったその瞬間から、男の態度はいやらしくなる。彼の潜在意識に、買春のパターンがへばりついているからだ。
誰もが異性を求め、恋の歌を歌う青春の一時期を過ぎると、日本の男性の女性に対するアプローチは、基本的に「女遊び」のパターンをなぞるようになる。
それは欲望をもっとも低い次元に還元し、対象となる相手を侮蔑し、軽視し、単にものとして扱う姿勢である。
よくてせいぜい自分を高承において、「かわいそうな」相手の身の上をあわれむ姿勢である。
そこには性の相手を対等の人間として見、性愛を通じて自分を高めようとする姿勢がまったくない。
そしてこうした男性の低級さが、社会階層の上下を問わず是認されているのが日本なのだ。
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今昔日本人欧米人の夫を比較

2014年3月25日
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最近、連れ立って歩いている若い夫婦の場合、赤ん坊を抱いているのはさすがに父親のほうになった。二十年前、それは母親の役目であった。
それでも中年の夫婦が歩いているのを見ると、荷物を抱えているのはまだまだ妻のほうである場合が多い。
そして一度家に入れば、サービスは一方的に妻の役目となる。一口でいえば、妻は夫の小間使い。夫は横のものを縦にもしない。
こうした日常を当然のこととして受け入れ、サービスに徹する役割に疑問を持たない「従順な妻」の大半は、亭主は「丈夫で留守がよい」と思っている昔風の妻である。
しかし結婚を男女の愛の場として捉え、・ハートナーとしての夫を望んでいる妻たちの悩みは深い。彼女たちの大半は、満たされない思いをかみしめつつ日食を送っている。
しかし初めにいったように「離婚したって、日本の男はどれもこれも似たりよったり」。
一見「やさしい夫」の増えたように思われる若い世代も、この構造ははびこっている。ただ彼らは、昔の夫たちのように、露骨にその無関心をさらけださないだけなのだ。
「家事にしわよせがこないなら、君は何をしてもいいよ」のせりふを吐きながら、彼らは仕事を口実に家庭から逃亡する。
彼らもやはり、「釣った魚には餌をやらない」昔の夫と本質的に変わりはない。彼らの自我は、一人前の男として妻と関わりをもつだけの成長をとげていないのだ。
「くたびれた。せめて家では、すき放題にさせてくれよ」。これが夫のホンネなのである。
離婚した男がすぐにも再婚したがるのに、女のほうはもう結婚はこりごり、とシングルをきめこむ現実の背景には、こうした夫たちの大群がひしめいている。
面白いことに、こんなふうに身近な女にはひたすら小間使いを求める日本の男たちも、いっさいの女に興味を持たないわけではない。
じつは彼らも外国の男とひとしく、女性が好きなのである。ただしその「好み方」が違う。
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日本の男は女に優しくないのか

2014年3月25日
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日本の男たちは、当然のこと、女にやさしくない。
彼らは女に関心を示さないだけでなく、欧米風のレディースファーストを実践するなど、考えさえしない。
男女平等を唱えるなら、女のためにドアを開けたり、荷物を持ってやったりしなくたっていいじゃないか、という人がいるかもしれない。
アメリカでウーマンリブ華やかなりしころ、バスのなかで女性に席を譲ったら、
「いつになったら騎士ぶったいやな男にあわないですむようになれるのかしら」と怒られたという話もあるのだから。
しかし男女平等であろうがなかろうが、男と女が互いにやさしくしあうのはいいじゃないですか。問題はこれまで「やさしく」異性にサービスするのはいつも女だった、
というところにある。
そもそも世の中がどんなに変わっても、筋肉の力がつよいのは絶対に男である。これこそ女より決定的にすぐれている男の価値であるものを、
その力さえ発揮しようとしないのなら男たるもの出番はどこにあるのか。
ところがどうだろう。電車のなかで、かよわい女が苦労して網棚に荷物をのせているのを見てもしらん顔。
女のために車のドアを開ける男性など薬にしたくも見あたらない。
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欧米に「いい男」を求める原因とは

2014年3月19日
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男は(とくに管理職年代の人びとは)女にどんなふうに向き合い、どんな話をしたらよいのか分からない。
ごく当たり前に、自分と同じ人間として扱えばいいものを、それができない彼らは、いい歳をしたおばさんを「女の子」扱いしてからかってみたり、
まだまだ若い女性を「おばさん」扱いして敬遠してみたりする。そうしていないと落ち着かないのだ。
これはたしかに長い間、男女が隔離されて育てられていた時代の後遺症で、共学世代にはこの傾向がはるかに少なくなってはいる。
しかしそこにはもっと深刻な人間性の問題がひそんでいる。どんな人でも、人をばかにしたり、無視したり、軽く扱ってよいはずはない。
ところが女に対して、男はごく気楽にそうした差別的態度をとる。社会通念として、そのことが許されているからだ。
女に対する態度こそ、男性の人間としての成熟度が表われてくる。その人の思想のホンネが、人間に対する差別感覚の有無が表われてくる。
宗教家にせよ文学者にせよ、女を軽蔑し、差別する人はつねに二流、三流の人物だと考えて間違いはない。
とくに日本の男の場合、異性に「母親役割」を求める人があまりに多い。それはせんじつめれば、一人前の、対等の男性として女に向き合う姿勢の放棄につながる。
ますます多くの「いい女」が欧米の異性に「いい男」を求めるようになりつつある現実は、こうした状況の反映といって間違いはないであろう。
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